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山笠行事
現在の芦別健夏山笠行事は7月第1土曜日
飾り山御神入れと本部詰所開き

第2または第3日曜日
「若松取り」博多の「お汐井取り」のような行事。
芦別健夏山笠のご神木である「黄金水松(こがねみずまつ)学名イチイ」を芦別神社の神官から各流の総代に手渡される。

7月第3火曜日
「祝儀山」当番流(一番山)区域内を六流が協力して山を舁く。
当番流町内の功労者が台上がりを務める。

7月第3木曜日
「追山馴し」市流が唯一単独で舁山を運行する日
で「市流」と「五流合同」でのタイムレースが行われる。

7月第3土曜日
「追山」午後5:59一番山が舁き出し、
清道入し山を止め「祝目出た」を博多同様全員で唱和する。5分おきに二番山、三番山と舁き出し2.1kmのコースで追山が行われる。

 
7月18日〜21日芦別紀行スナップ


 
 
 流
緑幸流(りょっこうながれ)
緑町町内会、幸町町内会を母体とする流。
平成元年中央流より独立、以前は緑幸(みどりさいわい)流と呼称していたが平成六年に緑幸(りょっこう)流に変更した。詰所は「緑幸研修センター」

流独自でホームページ「緑幸流どっとこむ」を開設。
全流の中でも舁手の人数が少なく一旦山につくと廻り止めまで交代要員がいないという「地獄山」の異名を持つ。
平成十三には大黒流からすノ三稲田将浩氏、小竹孝博氏が参加。
平成十六年には一部が同じ古門戸町管内の「西方寺前町」の17名が緑幸流参加。
この年は後押しに徹し流過去最高のタイムを出す。
本年古ノ一から11名が参加。

市流(いちながれ)
主に芦別市役所職員で構成されている。追い山では各流に分散する。
もともと振興会本部付の市役所職員グループが結成した「市役所若手の会」が始まり。
市役所流を経て現在は市流となる。

北大黒流(きただいこくながれ)
あかつき・渓水町・中央団地、三角山、東宮元、西宮元の6町内会で構成。
昭和62年に結成された宮元連=宮元流に原点を発する。
芦別神社おひざ元の流。
大黒流すの二元取締、故岡部雅之(まったこ)氏が参加した縁から
大黒流すの二と縁が深い流である。
人形飾は平成十四年大黒流当番町すの二の「為道捨身難」

北流(きたながれ)
北日本自動車大学校の教職員・学生・卒業生で構成。
平成四年、「北日本流」から「北流」に名称変更する。
町内単位で構成する他の流と違い学校単位で流を構成している唯一の流。
大黒流からは平成十三年に寿河原由紀夫氏、古ノ一新島啓二氏が参加。

栄流(さかえながれ)
主に駅前(栄町)から構成。中高生のバスケ部関係者も多い。
大黒流からは
平成十三年に川中門田明寛氏、川端筒井謙一郎氏、すノ一波多江貴文氏が参加。

中央流(ちゅうおうながれ)
主に中央町・旭町町内会で構成。
この町の故青井愼介氏が入手したビデオ「熱走!博多山笠」から
芦別健夏山笠が始まった。
もとは中央区、緑町、幸町で山笠を建設したが
平成元年に緑町、幸町が独立した。
大黒流からは平成十三年に麹屋番河原田嗣徳氏、我が古ノ一荒津明夫氏が参加。

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