博多大黒流
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 令和三年度の大黒流、世話当番町はつノ一(対馬小路一区)です

本年度2021年(令和3年)は5月3日・4日の二日間で開催することが松囃子振興会から発表されています。しかしながら市民の祭りである「博多どんたく」のパレードは昨年に引き続き
中止となっております。
松囃子遂行に関して大黒流は各町5名の人数制限で行われます。よって連絡網で声掛けがない古ノ一メンバーは今年は参加できませんのでご了承ください。
 2020年(令和2年)の博多祇園山笠はコロナの為中止となりました。
本年度2021年(令和3年)は博多祇園山笠振興会によると規制を儲けながらも今のところ開催と発表されています。しかしながら各流・各町単位でも話がまとまっておりません。
総会が行われ詳細が決定次第ご報告いたします。


博多では天正15年の太閤町割以来から商人の町、自治組織としての「流」という町組が存在していました。これは市名に基づく福岡部にはない組織です。太閤町割以前から筑前博多は日本最古の「クニ(那国)」として栄え自治の元、日本の外交の中心として栄えて来ました。そのためその地の利から戦国大名の係争の地として取り合いになり博多は幾度となく焼け野原になりました。
島津軍が撤収した後、秀吉は筥崎宮に逗留し九州ば静定、博多を七つの「流」というブロックに分けてそれぞれに自治を任せ博多の町ば作りあげました。これが博多七流の始まりです。
黒田藩政の時代は町奉行の配下に年行司という役職がありその下にいくつかの町の集合体である「流」というブロックで自治組織ば形成してきました。
その中で「祭り(山笠・松囃子)」もその流単位で執り行ってきました。
このサイトはその博多の町の一つの流「大黒流」の区域内の「町組」の一つ「古門戸町一区(通称古ノ一)」のサイトです。

世話当番町の元、毎年大黒流12ケ町は力を合わせて山笠ば奉納します。
このサイトはそげな博多と古ノ一ば紹介するサイトです。
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このサイトは古ノ一の運営では無うて「博多のおいしゃん」個人のサイトです。