博多大黒流
    このいちへようこそ    
  このサイトは他のサイトにあるような博多や山笠の紹介ページとは違います。
博多の山笠に参加する若っか人に見てもらいたいって15年以上前に立ち上げたサイトです。
博多でも一番古うからの山笠関連のサイトて自負しとります。
ばってんが管理人はいっちょん成長しとらんけんこらえとってください(>_<)
博多山笠は流て言う町組七流で行われるとですが一つの流も十数ケ町の集合体で運営され
そのそれぞれが独自の自治で執り行っております。
その山笠の中でちゃ一番小さな組織の一つ、「町」のサイトです。
そいけんよそでは書かれんマニアックな(山笠起源の真実やら)内容まで書き込んどります・・
ばってんが町の公式サイトではありません。「ちどりあし」っていう山のぼせが個人的に
所属する町の紹介としてあえて博多弁で運営するサイトです。
WEBサイトの専門家や無かけんサイトデザインやらはこらえとってください。
ばってんが中身(今風に言うたらコンテンツ)は奥が深いですバイ!

令和四年大黒流標題 勇猛漢周而不比(ゆうもうのかんしゅうにしてひず)
人形師は当町古ノ一所属の博多人形師(伝統工芸士)で山笠人形師の「西山陽一人形師」です。
  【2022年山笠】 
今年はコロナ禍でもあり各流れとも参加者が少なく規制も多い山でした。
詰所や直会もない町も多い中、古ノ一は通常通りのやり方で行いました。
今年の山笠写真掲載しました。
 

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 令和四年度の大黒流、松囃子世話当番町は下新川端町、山笠世話当番町はつノ一(対馬小路一区)です。
つノ一は町の名の由緒の通り昔の対馬藩とつながりのある町です。
大黒流の人形は町に関連のある題材ば用います。わが町がオッペケペ(川上音治郎生誕の地)ば過去に飾ったごと
今の若っかひと川上音二郎やら知りめえね・・歴史ば勉強してください・
本年の人形は鎌倉時代から対馬を統治しとった宗家の第十九代島主であり、
対馬藩初代藩主の「宗 義智(そう よしとし)」です。
秀吉の唐入ん時、間に入って往生した人ですたい・

令和四年度の山笠はコロナ対策を万全としたうえで開催されます。

【今年の山笠について】
※期間中は毎日健康チェックを行う。
※法被を着用しての飲酒を行わない。
※発熱時は行事に参加しない。
※お汐井取は各町人数制限の上行う。
各種規制の多い山笠になっています。

※女人は控える・・・
※胡瓜は食わない・・

これは従来からのルールばってんが胡瓜以外は守っとるかいな?
て言う博多んもん、どんだけルールは守り切るかいなね?(^^♪
※クラスター発生時は追山・馴らし共承天寺までとする
ばってんが走り出したら突っ走るとが博多んもん・・どげんなりますやら(^^♪

【こっから本題です】
博多では天正15年の太閤町割以来から商人の町、自治組織としての「流」ていう町組が存在していました。これは市名に基づく福岡部にはない組織です。太閤町割以前から筑前博多は日本最古の「クニ(奴国)」として栄え自治の元、日本の外交の中心として栄えて来ました。そのためその地の利から戦国大名の係争の地として取り合いになり博多は幾度となく焼け野原になりました。
島津軍が撤収した後、秀吉は筥崎宮に逗留し九州ば静定、博多を七つの「流」というブロックに分けてそれぞれに自治を任せ博多の町ば作りあげました。これが博多七流の始まりです。
黒田藩政の時代は町奉行の配下に年行司という役職がありその下にいくつかの町の集合体である「流」というブロックで自治組織ば形成してきました。
その中で「祭り(山笠・松囃子)」もその流単位で執り行ってきました。
このサイトはその博多の町の一つの流「大黒流」の区域内の「町組」の一つ「古門戸町一区(通称古ノ一)」のサイトです。

世話当番町の元、毎年大黒流12ケ町は力を合わせて山笠ば奉納します。
このサイトはそげな博多と古ノ一ば紹介するサイトです。
古ノ一50周年記念誌絶賛販売中です

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このサイトは古ノ一の運営では無うて「博多のおいしゃん」個人のサイトです。