博多大黒流
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【 薫風来(くんぷうらい)】
写真は2023年度の人形飾りです。
【人形説明】
コロナ禍や戦争の影響で経済活動や人々の活気が落ち込み、心が沈みがちな昨今愉し気に踊る大黒天に世情の閉塞感を打ち破り、明るい未来を拓き寄せてほしいとの願いを託しました。

薫風は初夏に吹く、若葉の薫り漂う緑色の風です。そよげば人々に涼をもたらし、清々しい気持ちにさせてくれます。大黒天の舞で薫風を巻き起こし世の中に明るさをもたらしたいとの想いが込められています。

標題を心にとどめた大黒流の一人ひとりが、薫風となり、人々と街に活気をもたらす意気込みで 博多の夏を駆け抜けて欲しいと願っている。
舁出しさぃもどる

 
本年度2023年(令和5年)の山笠は4年ぶりに通常開催ですべての行事が執り行われました。
 
清道
山笠豆知識
山周りの図
赤・黒不浄
ペンギン走り
ペンギン走り
山笠人形師
山大工
十二ケ町
山笠の自治
 

博多祇園山笠は、福岡市の旧博多部を中心に毎年7月1日から15日まで行われる
祇園祭です。
毎年行われる博多松囃子(どんたく)、博多祇園山笠の当番ば大黒流全体で務めます。
その祭の世話(段取り)役を12ヶ町が順番で交代で務めその年の世話をする町ば「世話当番町」と呼んどります。

昔は一番山から順に各流の当番町が各山番の当番を務めておりました。そいけん「二番山笠当番 対馬小路下」のごと文献には記されております。
一つの山笠の世話当番ば一つの町が務めとったとです。
現在は流当番となっとるけん「三番山笠大黒流」のような言い方が使われております。
したがって本年令和五年の二番山笠は大黒流が当番ば担います。
これが本当の言い方です・・!

7月の山の時期になったらなんも言わんでもちゃんと毎年、集まってきます。
全国には八坂神社に関係のある「祇園祭」は多数あるとですが、その多くは車輪がついた御神体(曳山、山車、屋台、山鉾と祭りによってさまざまな呼び名がありますが)を曳き廻るものです。博多祇園山笠は締め込み姿で、車輪のない「山笠」を担(いな)って奉納します。
祇園祭としては特殊な祭りといえるかもしれまっせん。

山笠の起源には諸説のありますが、承天寺(博多区)の開祖・聖一国師(円爾弁円)によって、仁地二年(1241年)に始まったとの説を現在山笠振興会はとっております。当時、博多で流行した疫病封じのために円爾が町民に担がせた施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいた故事が山笠の起源とすれば、760年以上も続いとることになります。
一方、文献に残る確かな史実として残っとるとは永享4(1432)年山笠起源説であります。
この年、祇園会に始めて12基の山のような作り山を作って舁き出したとあります。(九州軍記)神輿の渡御に合わせてこの年始めて山のような作り山が登場したてあります。もともと全国の祇園会は京都の祇園会を模して広がって行ったことば考えると博多の山笠が京都祇園の曳山に似とる(昔の飾り山を舁いとった時代)ともわかります。
明治時代に山笠の存続が危うくなった時、博多の人は古くからの云い伝えば持ち出し聖一国師起源説ば作り上げたとですね。実はどの文献にも承天寺発生節は残っておりません。
ましてや仁治二年はまだ承天寺は無く翌仁治三年に出け上がっとります。
これは承天寺の「嘉永の由緒書」に起因します。
延宝二(1674)年博多の飢饉の時、東長寺で銭の施行をし承天寺では粥の振る舞いがされましたったい。その恩義で山笠ば東長寺と承天寺にも舁きいれるごとなったとばってんが元文元(1736)年に追山が始まってそればはしょるごとなりました。
そこで承天寺が、昔のごと舁き入れるようにしてくださいって嘉永元(1848)年に寺社奉行に出した由緒書きです。この由緒書には飢饉で無うて疫病消除の祈祷ば行いその願解きで山笠が始まったて書いとるとです。当時の承天寺でさえ昔からの言い伝えて書いとるほど本当のところいつ山笠が始まったかはわからんとです。
その後、幾度となく山笠禁止令が出るとばってんが博多のもんはこげな歴史ば持ち出してお上に嘆願したとです。
そして昭和になってからは山笠重要無形文化財指定に向けては山笠の起源歴史ばちゃんと作りあげないかんこともありました。


ばってんがロマンのある真実味のある承天寺施餓鬼棚使用節は良く出来たお話やなかですか。どちらにしても山笠がこれほど長い間受け継がれてきたとは、博多に「流(ながれ)」とよばれる自治組織があったからです。流は現在も生き続け、各流は毎年祇園大神へ舁山を奉納しとります。


「山笠櫛田入の図」

さて5月の松囃子の終わったらもうそん年の当番町(注1)は俄然忙しゅ〜なります。
山小屋の建設位置ば決めたり、いろいろな神事が続き7月1日の祇園入ば迎える前に山のごと(しゃれや無かバイ)仕事の始まります。

ドーナツ化現象で住民の減った町は少なか人数で今年の山ば切盛りせな
いかんけんそら大変です。
「もうすぐ当番の回ってくるバッテンあ〜たの町大丈夫な?」げな風に
巷の会話で聞くことのありますね。
古ノ一は平成24年に当番町ば務めましたばってん12年にいっぺんの当番もうじきまた回ってきますけんその準備がもう始まっとります。
大黒流の歴史がコロナで変わり山笠と松囃子の当番町が同じ町内では無うなったけん
来年は古ノ一に松囃子の受当番が回ってきます。

昨今メディアのおかげで山笠は日本中に有名になり、観光の目玉にもなっておりますが逆に、山笠当番ば切り盛りするとはだんだん大変になってきました。
道一つにしても警察の許可ばとるとも大変です。
おまけに従来からの住民とは別に他地域からの住民の移り住みも増え祭り自体への風当たりの強うなってきました。ノイジーマイノリティーですな。
朝早う・・また夜遅うまで喧しいか下駄の音が煩い・・やら
また法被着て徒党ば組んで町ば歩くな。
そげな少数意見の苦情にも博多署は対処せないかんけ山笠に対する風当たりや規制も多くなってきました。
世の中には赤ちゃんの泣き声が煩い(あんたも赤ちゃん時泣きよったろうもん?)赤ちゃんは泣くとが仕事です。
はたまた学校のクラブ活動の音が煩い・・
果ては除夜の鐘が煩いて言う輩も出てくる始末やもん・・おかしな日本になりよりますやね。

話ば山笠当番に戻します。
「山は動き出したら終い」とは良う言われる言葉です。
動き出すまでの段取りはそれは大変なものです。

ここでは山笠についていくつか紹介しとりますばってんが山笠はそれぞれの自治、流で仕来りも違います。ここでは大黒流について書いとりますけん。

それからこのサイトは単なる博多・山笠の紹介サイトや無うておいしゃんのポリーシーの詰まった個人サイトですけん他のサイトでは書かんこともふんだんに書いとりますけんこらえとってください。
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