博多大黒流
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山笠人形師

博多土産は「博多人形」て言われて久しいです。
どの産業でちゃあ時代の流れで斜陽の時代ば迎えますばってんが博多人形の業界も博多土産は新幹線の開通以来明太子に首位の座ば明け渡したといはもうかなり昔のことで、博多の街で博多人形店自体見つけるのが難しくなって来とります。
現在は若っか二代目、また大学卒の人形師が博多人形界の担い手になっとります。

山笠には飾り山笠、舁き山笠のありますばってんが、その人形飾りはこの博多人形師によって作成されます。
博多人形とは作り方も異なりますばってん博多人形師(山笠人形師)が請け負うております。
そもそも博多人形の流れは「1600年代(関ヶ原の戦いの時代)に博多の町で陶師ば営んどった中ノ子家から転業した中ノ子安兵衛・吉兵衛親子と、小堀流山笠人形の流れを汲む白水家との複合的要因が最も有力とされている」てあるごと山笠とは切っても切れん間柄にあるとです。源流は京都の祇園人形の細工師の流れば組んどります。
すべての博多人形師が山笠飾りばつくるかていうたらそうではござっせん。
山笠人形は博多人形と製法も違い「山笠作りの経験ば積んだ人形師だけ」がその技術ば持っとります。
飾り山笠はとてもひとりでは手に負えまっせん。
一門の人形師たちの加勢で出来上がります。
師匠の山飾りの手伝いばしながらその技法ば受け継いだ博多人形師が山笠人形師になるとです。
博多人形は始め粘土で原型ば彫って(彫刻)それば元に石膏型ば取って生地ば作り焼成した後、直接彩色して量産していきます。色使いも家の中に飾られることば前提にして彩色されます。
一方、昔ながらの山笠人形は頭(かしら)や手は粘土で形ば作ってその上から紙ば何枚も何枚も重ねて固めていきます。最近は頭を木彫りで彫る人形師もおります。
胴の部分は細う割った竹ば、新聞紙のこよりでつなぎ合わせて形ば作り、その上から頭とおんなじように紙ば重ね張りしてつくります。
(現代ではこの方法以外にも新しか素材を用いて作られるごとなって来とります。)
その上から西陣織やら最近は博多織で着物ば着せていきます。
見る人も山ば見上げて少し離れたとこから絵巻物ば見るごとみますけん全体の構図ば考えて作られます。人形と人形の目線が合うごと・・・・

さて今の時代、山笠人形師もだんだん世代交代しよります。
ベテランでは「中野親一」さん「中野浩」さん兄弟、「置鮎正弘」さん。
もうベテランの域に達した、若手人形師の牽引者「中村信喬」君、おいしゃんとは同年の幼馴染です。信喬君は土居流「西方寺前町」に所属し舁き山にも参加しとります。もう歳やけん舁手の戦力にゃならんでしょうばってんが。
その息子、中村弘峰君も親父ばしのぐほどの力量で頑張っとります。
他には永年置鮎さんのもとで手伝ってきたベテラン「生野四郎」さん、そのもとで育った小副川太郎君、千代流のベテラン「川崎修一」さん。生野さんは博多駅、リバレイン、川崎さんは千代流ば手掛けてあります。
同じく伝統工芸士でもあり一流作家であった西流の山笠人形師やった「小嶋一義」さんの息子「慎二」君もソラリアの飾り山笠ば手がけております。
能人形ば得意とした「白水正興」さんの息子「英章」さんも今や売れっ子で東流、天神エルガーラ、博多駅、恵比須流(人形司武平)の飾り山ば手がけております。

ベテランの「三宅隆さん」「亀田均さん」がお亡くなりになり、山笠人形師が少なくなっておりますばってんが最近少し若手の人形師たちが育ってきました。
将来ば嘱望されとった若手のホープ「西流」の人形師ば務めよった「井上和彦」君のあまりにも早い他界は山笠人形界にとっても大きな損失でした。
         写真は故「井上和彦」人形師

そしてわが古ノ一所属の西山陽一君も大黒流の人形師として活躍しております。
西山君は大黒流松囃子の傘鉾人形師も務めております。



通称「バイブ西山」。大黒流の松囃子担当の人形師。大黒流の舁き山人形師ば務めます。何で「バイブ」ってか?
町内の若手が「西山さんでんとうこうげいし(伝統工芸士)らしか」て
言うたとば聞き間違いして「西山さんでんどうこけし(電動こけし)らしか」・・・
からのニックネームです。「スイッチはどこや?」てなもんで・・
古ノ一、楽しゅうなからな山や無か・・・・
人形師て言うたっちゃ古ノ一の若手の一員やけん特別扱いはしとりません。
山舁いてみてまた人形制作にも違ったもんが見えてくるて思います。
バイブ西山で通します。本名「西山陽一」ですお見知りおきを・・・・

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