博多大黒流
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山大工
人形師の影に隠れてその存在は目立たんばってん
             ※右写真は現在の大黒流山大工久我さんです
非常に山笠において重要な役割ば担うとが「山大工」さんです。
大黒流では永年「徳重さん」が務められました。大黒流「古ノ二(旧倉所町)」に所属し取締も務められた方です。

徳重さんが亡くなられて「日高さん」「稲舛さん」に引き継がれ平成22年からは「久我さん」が大黒流の山大工ば務められとります。いずれも各流の取締も務めた山笠経験者で久我さんはつノ一の元取締でもあります。
山台の製作から棒締めまでの準備、当番町は山大工さんの指示の下でその年の山笠作りば担当し、「自分たちの山」ば実感します。
山大工はいわば山笠の「主治医」です。いつも傍らで山ば見守ります。
八番山笠動く飾り山笠「上川端通」は平成19年倒壊しました。
山大工稲舛さんが翌年自ら図面ば書いて作り上げた矢切が心配で追山馴しではその山の飾り中に立って見守っておられたことを知る人は少なかでしょう・・

もともと、神社仏閣ば請け負う「宮大工」やらと違い山笠大工は別に本業ば持った大工さん(現在は工務店又は建設会社)です。山笠の時だけの呼称です。
昔は山笠は自分たちの「山」町内の人たちの手によって作り上げられておりました。
手に職持った左官職人やらこの時期仕事が少のうなる植木職人達が山笠作りに携わり町衆の手によって山台は作られよりました。現在は山笠人形師(普段は博多人形師)と一緒で、本業は鳶、植木屋、左官屋、大工と本職は別にありながら山台作りに携わる人達ば「山笠大工」て呼んどります。
基本的に山台作るとは「大工さん」の仕事やばってんが山笠は木組みだけや無うて色々と山笠独自の行程のあります。
八文字しかり、杉壁しかり、棒締めしかり、山小屋作るとは鳶職の仕事、山台作るとは大工さん、それ以外ば作るとが言わば「ヒヨカタ」て言われる人たち。もともとは「日傭方」て言うて日雇衆です。ばってんが専門技術ば周到しとかななりません。
その一切合財ば監督するとが「山大工」て言われます。言わば現場監督ですね。
自分たちの山笠(山台)ば作る技術ば次の時代に受け継ぐことも大事なことです。
博多祇園山笠が国指定の「無形文化財」に指定されたともこの山台が大きな要因になっております。山笠人形師と共に、この山台作りのノウハウも次代に引き継いでいかななりません。山舁くばっかりやのうてこげな技術も次の世代に引き継がないけません。そげな意識ば持った山台作りの集団がおります。
その名も「八文字組」是非一度この集団のこと見てやってください。
八文字組のお仕事の詳細はこちらをご覧下さい
博多八文字組

杉壁づくり



 
小縄巻きやら麦向き作業は当番町若手も手伝います


方杖の小縄巻き
当番町若手も手伝います

杉壁鉄砲袋の麦ワラ詰め

山小屋小槌下地直し

大黒流の山台と
てっぺんの小槌


杉壁組立
杉壁の作り方は
山大工さんによって
異なります

山小屋建設



 

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