博多大黒流
このいちへようこそ
                    
山笠の自治

山笠の組織は縦社会の序列が厳しく、命令系統、連絡系統も
しっかり確立されとります。
以下は大黒流ば例にして見た図です。



町総代、取締、赤手拭が流の役員て呼ばれます。
流全体の運営は十二カ町の町総代で構成される「甲子会」において行われ毎年の山笠、松囃子は順送りに各町が「世話当番」ば務めます。
当番町がその年の会計も務め行事遂行後、甲子会に報告されます。

山の動きよる時は実働部隊トップの「取締」の指示にすべて従います。
そのため事前に山笠行事また時間、道筋等は十二カ町の合議で決められ役員全員が揃う「朔日寄」で手の入って承認されます。

この縦社会の組織、軍隊のごと見えませんでっしょうか?
言い方悪かばってんがこれ実は始まりは軍隊やったとです。

古の頃から博多は民衆の自治で町ば守ってきました。
小早川隆景が秀吉から領地ば貰うて筑前領主になるまでは博多にはお殿様はおりませんでした。商人の町ですけん。大坂の堺の地に似とりました。
博多の地の利ば我がものにしようて言う豪族のとありあいになっとった場所です。
そうやけん、博多にはお殿様はおらんかったとです。

博多は湊もあり海外との通商の窓口であったことから
大分の「大友氏」やら山口の「大内氏」はたまた「毛利氏」達の取り合いの地、うかうかしとったら鹿児島の「島津氏」も責めて来ます。その他地元の国人たちも群雄割拠の時代博多は幾度となく戦場になった歴史のあります。

そやけん博多の住民は自分たちの自治組織ば確立して
いざ、の時にこの組織ば作り上げた経緯のありますとよ。

「信じるか信じないか?それはあなた次第・・」ってこれ本当のお話です。

ページトップへ